よく産業保健職の方から「休職している本人に対して、どのように伝えれば、説得することができるでしょうか」という質問もよく受けます。例えば、復帰基準や復帰に向けた手順、あるいは復帰準備の取り組みについて伝えたところ、本人が納得しない、という場面があるようです。
しかし、説得は本当に必要なのでしょうか。
「説得と説明」、「納得と理解」の違い
ここでまず、説得と説明、そして納得と理解の違いを考えてみましょう。
説得とは、相手の感情や価値観に働きかけて、自分の考えや方針に同意・賛同させようとする行為です。一方で、説明とは、すでに決まっている方針や制度の内容を事実として伝える行為です。
説得には相手の“同意”が前提になりますが、説明は“同意の有無にかかわらず”成り立つ、という明確な違いがあります。
同様に、納得とは相手が主観的・感情的に腑に落ちることを意味し、理解は論理的・制度的に内容を把握することです。
納得は本人が“納得するまで待つ”必要はありますが、理解は“理解する機会を与えたかどうか”が問題となります。
「制度検討段階での合意形成」と「個別運用時の説得」は違う
そもそも就業規則や社内制度は、策定時点でしかるべき手続きを経ています。労使による協議であったり、衛生委員会での審議などです。こうした手続きの段階においては、関係者を説得しなければならない場面は出てくるでしょう。
しかし合意形成は、その時点で済んでいるはずですから、個別運用時に本人を説得し、納得を得る必要はありません。むしろ、本人の“納得”を得ようとするのは、制度設計と運用の境界を曖昧にする行為とさえ言えます。すでに定めた制度を、感情的な調整でねじ曲げてはならないのです。
どのように伝えれば理解させられるか
これまでの運用の経験から、本人を理解し、結果的に納得させるコツを一つご紹介します。
それは、標準的な説明を一貫して繰り返すというものです。
なぜ本人が納得しないのかというと、言葉を選ばなければ、「ゴネれば、希望が通る」と考えているからです(そしてそれをこれまでに経験していることもあります)。
これに対して、標準的な説明を淡々と繰り返すと、全く賛同はしていないものの、「いくらゴネても、変えられないことなのだ」と、渋々納得することにつながります。
そして言うまでもなく、標準的な説明を繰り返すには、面接シナリオが有効です。

医療職としての矜持と、組織人としての立場の違い
医療職としての倫理観や矜持は重要です。しかし、職域における産業保健活動は「医療的健康管理」ではなく、「業務的健康管理」であり、前者の価値観がそのまま通用する場ではありません。
平たく言えば、職場において産業保健職は、従業員本人の味方さえしていれば良いというわけではなく、組織の制度運用を確実に支える“組織人”としての行動も求められるのです。前者の気持ちは、制度制定時点では存分に発揮いただき、運用時点では後者の立場を保って欲しいと思います。
なぜ説得しようとしてしまうのか
なぜ本人を説得しようとしてしまうのでしょうか。そこには大きく三つの要因があるのではないかと考えています。
一つ目は、医療現場におけるインフォームド・コンセントの習慣です。医療者としては、患者の合意を得て物事を進めることが基本であり、その意識がそのまま職域にも持ち込まれてしまいます。
二つ目は、人事や管理職から「本人と上手く話をつけてほしい」と丸投げされる構造です。保健職が説得役、調整役にされてしまうことで、本来の役割を見誤る危険があります。
三つ目は、“良い人でありたい”という対人関係のバイアスです。対立を避けたい、本人に嫌われたくないという思いが先行し、組織の判断を歪める方向に力が働くのです。
いつもお伝えしている二つの健康管理の対比にも通じるような話です。
三つの要因はどちらかというと医療的健康管理に起因するものですが、休復職に関する説明は、制度に沿った説明を行なっているわけであり、基本的には業務的健康管理の範疇にあるはずです。
そのため、説得しようとしてしまう気持ちをグッと堪えて、説明することを心がけましょう。
結論|説得するな、説明せよ
運用場面において、説得は不要です。制度に基づいて、粛々と説明すればよいのです。
産業保健職は、感情の調整役ではなく、組織の制度と方針を支える立場です。本人の感情に寄り添ってあげることは、産業保健職にしかできないため、期待したい役割の一つとして位置付けることができますが、それは本人の要求に従うことと、決して同義ではありません。
「どうやって説得するか」ではなく、「どうすれば制度をブレずに運用できるか」を考える。それこそが、産業保健職に求められる本質的な貢献です。