高尾メソッドの本質について、改めて振り返ってみると、その背景には開発者である高尾先生の疫学・公衆衛生学としての思想があります。
要するに、臨床医療のように個人の疾患対応に終始するのではなく、公衆衛生学のように、集団・組織全体の健全性を回復させる「社会医学的」アプローチが志向されています。
*本記事は「復職名人が読む三手先」第40回の内容をもとに構成しました。
「組織」を患者として診る:社会医学の視点
社会医学では、臨床医が個人の患者を診るように、「組織という患者」を診ています 。
メンタルヘルス不調者が多く出ている企業を見ると、その背景には必ず「組織の病気」があります。個人の治療に力を入れるだけでは、その組織の根本的な問題は解決されません。たとえば、労務管理の不備や就業規則の曖昧さがあれば、いくら産業医が個別対応をしても、問題は繰り返し発生してしまいます。
例えるならば、「バケツに穴が開いた状態で、上からいくら水を注いでも意味がない。穴を塞いでからこそ、はじめて意味のある対応ができる」のです。そして、これまでの医療的健康管理は、穴を塞かずに水を注ぎ続けていたということになります。
業務的健康管理は、このバケツに開いた穴を防ぐ効果があります。平たく言えばメソッドの導入により、労務管理の不備や就業規則の問題も洗い出され、改善されるのです。
助言だけで治るか、大規模な介入が必要か
組織の病には段階があります。一つは「ムンテラ」と呼ばれる口頭治療、つまり説明や助言を通じて自分たちで治せる軽度の病相です。これは理論を伝えて各組織が自主管理できる段階で、内科的な軽い薬で対応可能な状態といえます。
一方で、組織の病が深刻で外科手術的な大規模介入が必要な場合もあります。特に会社の上層部に業務や健康管理の理屈が理解できない人がいると、そうした介入なしには組織の病は治りません。
ただし、「メソッドは自分たちでやるものだ」としているのに手術は人任せなのでは整合性が取れません。実際、手術自体は我々が行うわけではなく、その必要性を示すだけです。術後のリハビリは組織自身が行うものです。
医療職が陥りやすい「部分最適」の罠
産業保健職(産業医や保健師)が良かれと思って行う「個別対応」は、実は組織全体の改善を妨げることがあります。
メンタルヘルス不調の従業員に手厚い対応をすると、本人は多くの場合「ありがとう」と感謝するでしょう。その一方で、制度通りに働く多くの従業員は、何ら見返りを得られません。
結果として、「病気になった方が得をする」という歪んだインセンティブが生まれてしまうのです。
医療者の立場から「患者さんに優しく」という気持ちで対応することは理解できますが、それが周囲の従業員に不公平な負担を強いることになっていないか、見つめ直す必要があります。
揺るぎない指針:大原則と三原則の階層構造
メソッドは、理想を示す「大原則」と、現場を動かす「三原則」で構成されています。従来は、大原則と三原則を並列的に説明していましたが、改めて整理すると、大原則と三原則には明確な序列があることに気づきます。
大原則:職場は働く場所である
これは労働契約の本質(労務提供の義務と賃金支払いの義務)そのものです。職場は治療やケアの場所ではなく、通常勤務を前提とする場です。ここに特別な情緒や医療的配慮を入れ込むべきではありません。
三原則(実務運用ルール)
- 通常勤務(業務・労務・健康面の三基準)ができているかで判断する
- 通常勤務に支障があるなら、最終的には休ませる(療養に専念させる)しかない
- 配慮付き通常勤務の判断は慎重かつ限定的に行う(最長2週間、1回のみ等)
大原則に対して、三原則は、職場で困った事例が生じている際の、現場運用のためのルールです。そして、三原則の運用上の問題が生じたときは、おおよそ大原則も維持できていない状態であると言えるでしょう。
すなわち、三原則の運用で困った場合には、常に大原則に立ち返ることで、理論的な整合性が保たれるのです。
人事担当者が貫くべき「実務の鉄則」
紛争を回避し、健全な職場を取り戻すために人事が押さえるべき重要ポイントです。
- 制度の一貫性を保つ
本音と建前の矛盾を生まないよう、就業規則やルールを明確化してください。特に、病気の従業員と健康な従業員に異なる基準を適用していないか、定期的に確認しましょう。 - 労働契約の本質を忘れない
安全配慮義務は企業の法的責任ですが、それは「労働者を最大限に守ること」ではなく「適切に労務提供できる環境を整備すること」です。 - 医療職との連携における役割分担
産業医や保健師の個別対応が必要な場面はありますが、それに頼りすぎると組織全体の改善が進みません。 - 公平性を意識する
病気を理由に制度を柔軟に適用することは、仕事を真面目にこなしている従業員への不公平につながる可能性があります。
メソッド第2幕の到来
現在、メソッドは「第2幕」と呼ばれる深化を遂げています。
診断書を盾にした「異動拒否」や「特定業務の免除」の要求などの新しい事例について、三原則だけでは対応しきれない場面が増えてきました。
こうした状況では、三原則に頼るのではなく、大原則に立ち返り、労働契約そのものの視点から問題を再解釈する必要があります。
「その診断書の内容は、現行の労働契約(職務無限定の総合職等)に基づく通常勤務が困難であるという、あなた側からの『不完全労務提供(契約内容の変更)』の申し入れと受け止めてよろしいですか?」
実際にこのように伝える必要まではありませんが、このように大原則(労働契約)に立ち返ることで、医師の意見に振り回されることなく、主体的な人事判断が可能になります。
結びに
高尾メソッドは、決して労働者を切り捨てるための道具ではありません 。全員が公平にルールに基づいて扱われることで、誠実な労働者が報われ、結果として「誰もが安心して働ける組織」を実現するための、強くて優しいシステムなのです。


