安全配慮義務に関する重要な裁判例

安全配慮義務の歴史的背景

もともとは「命に関わる危険」の話だった

安全配慮義務という概念がもともとどのような場面で生まれたのかを振り返ると、現在の誤解の構造が見えてきます。

安全配慮義務を最初に認めた判例は、自衛隊の事件(陸上自衛隊事件)です。車両事故により隊員が亡くなったケースでした。また、民間企業に適用された川義事件は、宝石店で夜間勤務中に強盗に襲われて殺害されたケースです。

いずれも、業務の中で命を落としているという極めて重大な事案です。「働くということの中で命を取られる、それはおかしいだろう」という発想から、会社にはそれを回避するための最大限の努力義務がある、とされたわけです。

伝統的な安全配慮義務の3点セット

伝統的に、安全配慮義務の履行として求められてきたのは次の3つでした。

  1. 物的環境の整備として、転落防止の設備を設けるなど、物理的な安全を確保すること
  2. 人的体制の整備として、必要な作業人員の配置や補助者をつけるなどの人員体制を整えること
  3. 安全教育として、労働者に対して必要な教育を施すこと。

これらはいずれも、具体的な「措置」です。まさに手段債務としての安全配慮義務の典型的な内容です。

健康配慮への拡張とその問題点

ところが近年、安全配慮義務は健康配慮の領域にまで拡張して捉えられるようになりました。メンタルヘルス不調への対応として、安全配慮義務の履行が求められる場面が増えてきたのです。

しかしここに問題があります。命に関わる事故と、回復可能な健康上の問題では、本来の重みが異なります。
 死は不可逆ですから、少しでも会社に落ち度があるなら責任を追及するのは当然でしょう。一方で、健康は回復可能なものです。それを同じ枠組みで、同じ厳しさで会社の責任を問うのは、やや行き過ぎではないかという問題意識があります。

命に関わる重大な事案を想定して作られた概念を、はるかにマイルドな健康上の問題にまで適用したことで、その捉え方に歪みが生じているように思うのです。

陸上自衛隊事件(最高裁 昭和50年2月25日判決)

この判決は、「安全配慮義務」という言葉と概念を最高裁が初めて明確に認めた、極めて重要な事例です。

事案の概要

陸上自衛隊の車両整備工場において、隊員が車両の整備作業を行っていたところ、後退してきた別のトラックに轢かれて死亡した事故です。遺族が国に対して損害賠償を求めました。

判決文の引用

「国は、公務員に対し、国が公務遂行のために設置すべき場所、施設もしくは器具等の設置管理又は公務員が国もしくは上司の指示のもとに遂行する公務の管理にあたつて、公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務(以下「安全配慮義務」という。)を負つているものと解すべきである。けだし、右の安全配慮義務は、ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入つた当事者間において、当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務として一般的に認められるべきものであつて(後略)」

判決の意義

当時、雇用主(この場合は国)が労働者の安全を守るべきだという明文の法律はありませんでした。しかし最高裁は、「雇用のような特別な関係(特別な社会的接触の関係)に入った以上、お互いの信頼を裏切らないようにする原則(信義則)からして、当然に安全を守る付随義務がある」という論理を展開し、国の責任を認めました。

川義事件(最高裁 昭和59年4月10日判決)

陸上自衛隊事件はあくまで「公務員と国」に関する判例でしたが、この川義事件によって、「民間の一般企業(労働契約)」においても安全配慮義務が当然に存在することが最高裁で確立されました。

事案の概要

織物会社(川義)で、新入社員が会社施設内で一人で夜間の宿直勤務をしていたところ、窃盗目的で侵入してきた元従業員に強盗殺人されるという事件が発生しました。遺族が会社に対し、「防犯設備や安全教育などの配慮が欠けていた」として損害賠償を求めました。

判決文の引用

「(雇用契約は労働の提供と報酬支払いの契約であるが)使用者は、右の報酬支払義務にとどまらず、労働者が労務提供のため設置する場所、設備もしくは器具等を使用し又は使用者の指示のもとに労務を提供する過程において、労働者の生命及び身体等を危険から保護するよう配慮すべき義務(以下「安全配慮義務」という。)を負っているものと解するのが相当である。」

判決の意義

民間企業においても、単に「働かせて給料を払えばいい」というだけでなく、働く場所や設備において労働者が危険な目に遭わないよう配慮する義務(この事件では、防犯対策や宿直の増員など)が、労働契約上の当然の義務として存在することを明確にしました。

電通事件(最二小判平成12年3月24日)

健康配慮への拡張という観点で重要な事件です。この事件では従業員の過労自殺について争われました。

(余談ですが、当該電通事件では「不法行為」で争われたもので、直接、安全配慮義務を取り扱ったわけではありません。しかしながら、「(注意義務違反としての)不法行為責任なのか安全配慮義務違反としての債務不履行責任なのかという理論的問題については、議論の余地はあるとしても、労働契約の実態の中で、どうあるべきかを考えていくことこそが問題なので、あって、民法の条文の解釈如何が結論を左右するといった問題とは思われない」(最高裁重要労働判例、高井伸夫ほか、経営書院、2010、pp60-76)と千種弁護士が指摘しているように、一般的には「安全配慮義務」の考え方の参考にして差し支えないと考えられています)

メンタルヘルス不調への安全配慮義務の適用

まず、使用者が負うべき義務の根拠を次のように示しています。メンタルヘルス不調への安全配慮義務を明確に認めている点に注目です。

「使用者は、その雇用する労働者に従事させる業務を管理するに際し、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負うものというべきである」

予見可能性の判断

会社側(上司ら)が労働者の健康悪化を予見できたかについて、判決文は具体的な事実を挙げて以下のように判示しています。

(上司らは)A(被害者)が、連日深夜に及ぶ業務に従事し、連日のように徹夜までする状態にあり、入社後約一年を経過したころから、その表情がうつろになり、生気がなくなり、あるいは机に向かって居眠りをするようになるなど、心身の健康を損なっているのではないかと疑わせるような外形的な変化が現れていたことを認識してい

(中略)

したがって、右各上司らは、Aが過度の業務負担等により心身の健康を損なう蓋然性があることを予見することができた

ここでのポイントは、判決文が「自殺の予見」ではなく、「心身の健康を損なう蓋然性の予見」をもって足りるとした点です。

結果回避義務(注意義務違反)の判断

予見可能であった場合に、会社がどのような措置を講じるべきであったか(結果回避義務の内容)については、以下のとおり記載されています。

(上司らは)Aに対し、業務量を減らす等の措置を講ずべき義務を負っていた

(中略)

それにもかかわらず、右各上司らは、Aに対し、単に早く帰宅するように、あるいは、休養をとるようにといった抽象的な言葉を掛けるにとどまり、具体的、実効的な措置を何ら講じなかった

結論としての義務違反

これらを総合し、判決文は以下のように結論づけています。

(上司らは)右注意義務を怠ったものといわざるを得ず、その結果、Aは、過度の業務負担等によりうつ病を発症し、自殺するに至ったものというべきである