主治医と産業医の「一人二役」が招く3つのリスク

「自分は主治医と産業医を兼務していないから、利益相反の問題は関係ない」と思っている産業医の方は多いのではないでしょうか。
 しかし、話はそう単純ではありません。今回改めて、この問題を掘り下げていくと、表面的な「主治医兼産業医」の問題にとどまらず、通常の産業医活動のなかにも同種の構造が潜んでいることがわかりました。しかも、法制度そのものに内在する矛盾にまで行き着くのです。

本記事は「復職名人が読む三手先」第73回の内容をもとに構成しました。

第1段階:文字通りの「主治医兼産業医」

もっともわかりやすいケースが、臨床をしている先生が、産業医先の従業員を自分のクリニックに誘導するケースです。

動機はさまざまです。純朴な親切心から「自分で診てあげよう」と考える場合もあれば、率直に言えば患者獲得の意味合いが含まれることもあるでしょう。いずれにせよ、主治医としてのアイデンティティがベースにある以上、主治医としての立場が前面に出やすいのがこの構造の特徴です。

弁護士の「双方代理の禁止」と同じ構造

弁護士の世界には「双方代理の禁止」という明確なルールがあります。原告と被告の双方の代理人になることは、弁護士法上はっきりと禁止されています。なぜなら、双方の情報を知ることで、どちらにでも有利な弁護ができてしまうからです。

産業医の場合も構造は同じです。主治医としては患者の利益のために100%働く義務がある。一方、産業医としては事業者の履行補助者として、会社が行うべき健康管理を誠実に遂行する立場にある。 この2つが同時に整合的に成立するとは、とても考えにくいのです。

一見すると、「復職を目指す」という方向性は共通しているように見えます。しかし、復帰の条件や配慮の範囲について具体的な判断が求められる場面、たとえば配慮の要否をめぐって会社と従業員の利害が対立する場面では、コンフリクトは表面化します。

利益相反が生じたらどうするか

弁護士が、受任段階では利益相反が生じていなくても、将来的に生じる可能性がある場合、事前に双方から同意を取り、利益相反が生じた時点で両方の代理を辞任するのがルールです。どちらかを優先するのではなく、辞めるのです。

この考え方を産業医にも当てはめるべきではないでしょうか。

極端な話かもしれませんが、産業医契約の時点から、「コンフリクトが生じた場合には主治医を辞める」ことをあらかじめ合意しておく。会社にとっては産業医に辞められる方が困るので、辞めるべきは主治医の方です。

主治医を辞める覚悟がないのであれば、産業医をやるべきではありません。

もっとも、まっとうな産業医であれば、この問題は理解しているはずです。産業医先の従業員が来院した場合、他の医師に紹介して手を離すのが当然の対応であり、多くの方がすでにそうされていると思います。第1段階は、いわば基本中の基本です。

第2段階:通常の産業医活動に潜む「暗黙の関係」

問題は第2段階から深くなります。自分は主治医兼産業医をしていないと思っている産業医にも、同種の構造が生じているのです。この点は、意識している方が相当少ないのではないかと思います。

通常の産業医活動において、従業員との面談は日常的に行われます。立て付けとしては、事業者からの要請に基づいて産業医が従業員と面談する形です。産業医と従業員のあいだに個別の契約関係はないとされているので、安全配慮義務のような概念が生じる余地は少ない、というのが通常の整理でしょう。

しかし、現実はどうでしょうか。

面談のなかで「この情報は会社に伝えてもいいですか」と同意を取りにかかる場面があるはずです。当然、「嫌だ」と言われたものは伝えない。この時点で、会社との契約とは別に、従業員との間に個別の約束ごとが発生しているのではないでしょうか。しかも、聞いてしまった情報を「聞かなかったことにする」なんてことは、現実にはできません。

Aコースを産業医が引き受けること自体のリスク

私たちはこれまで、面談を2つのコースに事前に振り分けて整理してきました。Aコース(純粋な健康相談・会社には情報を出さない)Bコース(就業上の措置を前提とした面接)です。AコースとBコースの境界が曖昧になること、あるいは途中でAからBに切り替わるような事態が生じることにあるので、事前の振り分けを重視してきました。

今回の問題は、Aコースを産業医自身が引き受けることに内在しているリスクともいえます。
 産業医は、事業者に対して就業上の措置について意見できる立場にあります。そのような権限を持つ者が、Aコースで個別の健康情報を知った上で「何もしなかった」となれば、後から問題になり得ます。仮に深刻な事態が発生した場合、「産業医に相談していたのに、なぜ何もしてくれなかったのか」という追及は避けられないでしょう。

要するに、産業医が知った情報は、安全配慮義務における予見可能性の観点から、事業者の認識と同視されるリスクがあるのです。

ダブルスタンダードの危険

さらに深刻なのは、ダブルスタンダードの問題です。

たとえば、検診結果の基準に基づいて就業制限をかけている会社で、Aコースの面談で知った情報に基づいて「この人は本来就業制限の対象だが、本人が困ると言うから見逃す」という対応をすれば、社内にダブルスタンダードが生じます。当の産業医は「自分がリスクを負っているだけだ」と思うかもしれません。しかし、実際にはそれは事業者リスクに転嫁されるのです。事業者の目線から見れば、これは看過できない問題です。

平たく言えば、Aコースは、可能であれば外部の専門機関に委ねるのが最も安全だということになります。要するに、Aコースを外部に出してしまえば、純粋な健康相談は外部で行われ、産業医は知らない。知らないのだから措置の判断にも影響しない。もっともすっきりした構造です。

第3段階:法制度に内在する「一人二役」

第3段階は、もはや個人の判断や運用の問題ではありません。法制度そのものに組み込まれた構造的な矛盾です。

ストレスチェック実施者の問題

もっともわかりやすい例が、ストレスチェック制度です。厚生労働省は「産業医等が実施者になることが望ましい」と明確に打ち出しています。事業者からすれば、「望ましいと書いてある以上、産業医にお願いするのが当然だ」と考えるのは自然なことです。

しかし、これは産業医と実施者の一人二役にほかなりません。

実施者として高ストレス者であることを知っている。医師による面接指導の申し出を勧奨する役割がある。ところが本人が面接指導を申し込まなかった場合、その情報は宙に浮きます。実施者として知っていることは、産業医としても知っていることです。しかし産業医として何かできるわけでもない。

私たちはこの問題を重く見て、実施者を引き受けないという立場を取ってきました。正直に言えば、この立場を貫くために産業医契約を失った経験もあります。そこまで踏み込める人がどれだけいるのか、というのが現実です。

健診結果と個人情報保護のギャップ

もう一つの構造的問題が、従業員の健診結果の取り扱いです。

安全衛生法の構造上、事業者が健診結果を知ることは法の予定するところです。産業医が意見を述べるために結果を見ることも、当然に導かれます。安全衛生法だけを見るならば、ここに疑問は生じません。

しかし、個人情報保護法の観点から見るとどうでしょうか。健康情報は機微情報です。本来、包括同意やオプトアウトで済ませてよいものではありません。にもかかわらず、多くの企業では「健康情報取扱規程」という形で事実上の包括同意が行われています。厚生労働省はこの規程を「各事業場で労使が決めるもの」と位置づけ、責任の所在を巧みに分散させています。

安全衛生法が想定する「親代わりの健康管理」という構造と、個人情報保護法が志向する個人の権利保護の構造は、根本的に相性が悪い。 現時点では安全衛生法に準拠していれば大きな問題にはなりませんが、この状態がいつまで続くかは疑問です。

法定外項目が突っ込みどころになる

実務的にもっとも危険なのは、法定外項目を一緒に見てしまうことです。

法定項目だけを見ていれば、仮に紛争に巻き込まれても「法の予定するところに従ったまで」として棄却される見込みが高い。しかし法定外項目、たとえば健保が費用を出している追加検査の結果に基づいて何らかの措置を講じていた場合、そこに突っ込みどころが生じます。

従業員の立場から考えてみてください。法定項目の結果を会社が知ることは法律上やむを得ないとしても、自分が同意した覚えのない追加検査の結果まで同じ扱いにされる、場合によっては不利益な取り扱いを受けることに、納得できるでしょうか。

個人情報保護法に違反しているという認定に直接結びつかなくても、不法行為の文脈で違法性を問われる余地は十分にあります。

産業保健職にも同じ構造がある

この問題は産業医だけのものではありません。産業保健職(保健師等)にも、同種の二重関係が生じる場面があります。

従業員と接するとき、「あなたの話はここだけの秘密です」と約束している、あるいはそう受け取られるようなセッティングで面談を行っていないでしょうか。その一方で人事と情報を共有している。従業員から「あの保健師はスパイですか」と産業医に訴えてくるケースは、珍しくありません。

産業保健職は法的位置づけが産業医ほど明確ではない分、トラブルが生じたときに守ってもらえるものが少ない。業務の範囲を契約上明確にしておくことは、自分自身を守るためにも不可欠です。

特に近年、エージェント経由で産業医が頻繁に入れ替わるようになった環境では、かつてのように産業医が保健職を守ってくれる構造は期待できません。保健職自身が自分の立ち位置を明確にする必要性は、今後ますます高まるでしょう。

「一人二役」は時代的に許容されなくなる

主治医と産業医の一人二役の問題には、3つの段階があります。

  • 第1段階:文字通りの主治医兼産業医。まっとうな産業医であれば避けるべきことは理解している
  • 第2段階:通常の産業医活動に潜む暗黙の関係。Aコースの健康相談を産業医自身が行うリスクを認識し、可能であれば外部に委ねること
  • 第3段階:法制度に内在する構造的矛盾。法に従っているだけでは身を守れない時代が来ること

現状は法の定めるところに従っていれば大きな問題にはならないかもしれません。しかし、安全衛生法の「親代わり」の構造と、個人情報保護の時代的要請とのギャップは、確実に広がっています。

自分がどのような情報を、どのような立場で、どのような根拠に基づいて知っているのか。その情報をどう扱うのか。自分も綱渡りをしているのだという自覚を持つことが、産業医・産業保健職にいま求められていると考えます。