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ポッドキャスト「復職名人が読む三手先」第80回では、産業医科大学の森晃爾先生をゲストに迎え、森先生の産業医としてのキャリアを中心に、産業医業務への考え方などを伺いました。
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議論した内容
森先生のご経歴
- 1960年愛知県生まれ。86年産業医科大学医学部卒業。90年同大学院博士課程修了。
- 92年エッソ石油の医務部長。2000年エクソンモービル医務産業衛生統括部長。
- 2003年から産業医科大学産業医実務研修センター所長。
- 2005年~10年副学長。
- 現在は産業医科大学 産業生態科学研究所 産業保健経営学研究室教授、福岡県労働衛生指導医。
- 森の父です。
森晃爾先生の産業医キャリア初期
- 32歳でエッソ石油(後のエクソンモービル)に専属産業医として入社。きっかけは、産業医科大学初代学長・土屋健三郎先生とエクソンモービルの労働衛生トップであったトム・マクドナー先生との縁である。
- 当時の企業風潮は若手産業医の現場経験を歓迎し、ガソリンスタンドでの実地作業や地方営業への同行など、幅広い経験を積ませてくれた。
- 全従業員1200人を対象に、全国の事業所で全員面談を実施し、従業員との信頼関係を築き、現場の課題を深く理解した。
- 当時の健康増進プログラムは、既存のTHPや人間ドックなどの資源を組み合わせて効果的に実施した。
- 外資系企業のエクソンモービルはリスク管理に非常に厳格で、問題発生前から多額の費用を投じて訓練を行うなど、日本企業とは異なる文化を持っていた。
- 産業医の仕事は単なる医療行為に留まらず、企業コンサルティング的な発想が必要だと感じていた。
企業の合併とダイナミックな業務
- エクソンモービルの合併時には、早期退職制度の支援や新たなグローバル基準の導入、合併チームの構築など、ダイナミックな業務を経験した。
- 特に早期退職制度の支援では、従業員の不安解消のための教育を行い、精神的に不安定な状況を抱える社員への対応に尽力した。
- 合併を機に、それまで潜在していた従業員のメンタルヘルス問題が顕在化するケースを多く経験した。
産業医科大学への帰還と教育への貢献
- 森先生は大学卒業時には、特にやりたいことがなく、研究室に配属されたことがきっかけで産業医学の道に進んだ。
- 日常の社会とそこで生きる人々に興味があり、臨床医学ではなく産業医を選択した。
- 産業医科大学の卒業生として、産業医学の経験を大学に伝え、産業保健の「言語化」の必要性を強く感じ、実務研修センターでその実現に努めた。
- ハーバードメソッドのケースメソッドを産業医の教育に導入するなど、実践的な研修プログラムを開発した。
- 産業医大の産業医養成プログラムについて
高尾メソッドへの評価
- 高尾メソッドは「冷たい制度」として見られがちだが、「システムとして成り立っている」と評価した。
- 人事や職場の役割を明確にする汎用性の高い選択肢であり、特に地方自治体など、これまでの健康管理が行き届きにくかった組織に非常にフィットする。
- 「システムはドライに、運用はウェットに」という原則が高尾メソッドにも当てはまると述べた。
- エクソンモービルの「ドライな」リスク管理の考え方や、早期退職における「優しい」退職支援の例を挙げ、高尾メソッドに通じる点があると示唆した。
定年退職後の展望
- 今年度で定年退職し、今後は「普通の産業医」としての活動(週3日程度)を望んでいる。
- 加えて、学会活動のコンサルティングや社会貢献、インドネシアの大学での客員教授、健康経営のコンサルティングを計画している。
- 森産業医事務所、森労働衛生コンサルタント事務所、森健康経営研究所という3つの組織が並列にあるような状態をイメージしている。
若手産業医へのメッセージ
- 医者であることを忘れず、組織やマネジメントを理解することの重要性
- 一つの業界や文化、組織を深く理解することが、他の多様な現場を理解する上での基礎になる
- 組織のトップが抱える孤独さや経営側の視点を理解し共感することが、産業医として深く関わる上で非常に重要。
※このShowNoteはNotebooklmを活用して自動生成した要素を含みます。内容は参考情報であり、正式な見解は放送内容をご確認ください。