理論・解説

合理的配慮の適切な提供

近年障害者雇用が進むにつれて、「合理的配慮」の提供に関する相談事例が増えています。

ですが、合理的配慮は日本にはそもそも存在しない概念です。そのため、合理的配慮そのものの理解があいまいであったり、誤解が生じていることも多く、適切な提供に至っていない事例が良く発生しています。

今回は合理的配慮に関する正確な理解と、具体的な提供方法について、検討したいと思います。

それに関して、川島聡,飯野由里子,西倉実季,星加良司『合理的配慮―対話を開く,対話が拓く』有斐閣,2016.が非常に参考になりますので、この投稿でも参考にさせていただきます。

1.合理的配慮とはそもそも何か

合理的配慮は欧米を中心に生まれた、比較的新しい差別の概念です。

本来等しいものを異なって扱う差別(不平等)

従来は差別とは「等しい者を異なって扱うとき」に生じるものだと理解されていました。つまり、性別や人種などの違いを捉え、本来は同じ権利を持った人間であるにもかかわらず、違った対応を取るといった差別です。

例えば役所の窓口で、ある女性市民の対応を「あなたは女性だから、対応しません」と対応を拒否するとき、性別による差別が生じます。
 ここでは、本来は性別に関わらず等しく対応すべきところを、異なった対応をしたことにより、その女性市民に不利益(権利侵害)が発生しています。

本質的に異なる者を同じように扱う差別(不公平)

それに対して、「異なる者を異なって扱わないとき」に、合理的配慮の不提供という差別が生じると考えます。

例えば、目が見えない学生に対して、目が見える学生と同じように、紙に印字したプリントを配付したらどうでしょうか。
 一見、目が見えない学生と目が見える学生の双方に対して同じ対応をしているので、差別は生じていないように見えるかもしれません。しかしながら、本来学生として情報を知る権利があるのにもかかわらず、目が見えない学生にとってはこの権利が侵害されています。

この場合は、学校側の過重負担にならない範囲で、目が見えない学生にも同じ情報を伝えることが、合理的配慮の提供となります(テキストデータの配付とか、点字資料の配付とか、口頭での伝達とか)。

もとより、インク印刷のプリントを配布するという慣行をはじめ,社会のさまざまな慣行,事物,制度,観念等(以下,総称してルールと呼ぶ)は,基本的に障害がない人を想定している。たとえば,階段を使用する,口頭で発言する,目でメニューを読む,箸で食べる等のルールは,障害がない人が生活を送るうえでは何ら支障とならないが,障害者が生活を送るうえでは支障となりうる。
 今日では,そうしたルールを障害者に押しつけて,障害者を社会から締め出すことは許されない。障害者が社会で共に暮らすためには個々の障害者のニーズに応じてルールを柔軟に変更することが不可欠となる。そのようなルールの変更により,障害者が生活を送るうえでの支障(社会的障壁)を除去することが求められているのだ。

なお、障害者権利条約には、合理的配慮とは次のように定義されています。

障害者が他の者と平等にすべての人権および基本的自由を享有し、又は行使することを確保するための必要かつ適当な変更及び調整であって、特定の場合において必要とされるものであり、かつ、均衡を失した又は過度の負担を課さないもの

2.合理的配慮という字面から生じる誤解

個人的には、「合理的配慮」という日本語の訳から多くの誤解が生じているように思えます。なんとなく字面からは、「効果的な思いやり」というような理解をされがちですが、これは完全に間違いです。

合理的とは

まず、「合理的」という言葉ですが、原語は"reasonable"です。

経済「合理的」とか、目的「合理的」、というような、効率的で無駄がないという意味での一般的な合理的(rational)とは異なります。

reasonableは「自己と目的を異にする他者から見ても『理に適った』といえる仕方で他者を尊重する態度」という意味で用いられます。
 要するに、合理的配慮そのものの概念には、提供する側にとって過重な負担となるような配慮の提供は含まれませんので、もとより自己と他者の双方の事情を考慮しなければなりません。障害者本人と、合理的配慮を提供する側の、双方の事情を考慮して、お互いに納得がいく方法という意味で捉えるべきです。

配慮とは

続いて、「配慮」という言葉ですが、原語は"accommodation"です。

一般的な「相手を思いやる」という意味の配慮(consideration)とは異なり、変更・調整といったニュアンスを含みます。
 そもそも一方的な善意の提供は、提供する側のさじ加減で変わってきてしまいます。そうではなく、配慮の提供は障害者の権利確保のための義務であり、双方の対話を重視するものです。

合理的配慮はすでに定着しつつある単語ですが、しかしながら字面から安易に解釈してしまうと、誤解してしまうことをご理解いただけるでしょうか。

3.雇用場面での合理的配慮の提供

日本の職場における合理的配慮については、障害者雇用促進法にて規定されています。

第三十六条の二 事業主は、労働者の募集及び採用について、障害者と障害者でない者との均等な機会の確保の支障となっている事情を改善するため、労働者の募集及び採用に当たり障害者からの申出により当該障害者の障害の特性に配慮した必要な措置を講じなければならない。ただし、事業主に対して過重な負担を及ぼすこととなるときは、この限りでない。

第三十六条の三 事業主は、障害者である労働者について、障害者でない労働者との均等な待遇の確保又は障害者である労働者の有する能力の有効な発揮の支障となっている事情を改善するため、その雇用する障害者である労働者の障害の特性に配慮した職務の円滑な遂行に必要な施設の整備、援助を行う者の配置その他の必要な措置を講じなければならない。ただし、事業主に対して過重な負担を及ぼすこととなるときは、この限りでない。

合理的配慮の目的

まず注意しないといけない点は、合理的配慮の提供は、①均等な機会の確保、②均等な待遇の確保、③能力発揮の支障となっている事情の改善、という目的で行うものだということです。

よくあるご相談には、「私は障害があるので、合理的配慮として、この業務を免除するという合理的配慮を提供してください」と要望を受けた、というものがあります。これは合理的配慮に対する大きな誤解と言えます。①~③のいずれの目的にも合致しません。

本人の申出の必要性

続いて、採用場面では本人からの申し出を受けて合理的配慮の提供義務が生じるのに対して、採用後には本人からの申し出というステップがない点は、頭の片隅に置いておいた方が良いでしょう。

ただし現実的には、合理的配慮の提供は双方の対話によって検討されるものです。本人の申し出なく提供する義務があるからと言って、会社から勝手に提供することは、合理的配慮の提供とは言えないと考えます。

過重負担の取り扱い

なお細かい点ではありますが、本来は提供すべき合理的配慮の中には、提供側にとって過重負担となる配慮は含まれません。
 しかしながら障害者雇用促進法においては、過重負担となる合理的配慮は提供しなくてよい、としており、過重負担となる配慮も合理的配慮の中に含まれています(過重負担となる配慮を提供しなくてよい点に変わりはありません)。

4.具体的な対応法

対応方法の基本は、合理的配慮の提供義務があるからと言って、労務提供義務を免除しなければならないわけでは必ずしもないというポイントに尽きます。

確かにガイドラインからは、業務の免除や軽減等が合理的配慮の提供に該当すると読み取れます。しかしながら、一方でこれらガイドラインの策定過程において労働契約の話や、労務提供義務に関する議論は、一切行われていません。

そのため、合理的配慮を提供する際の原則は、従業員が労務提供義務を果たすために必要となる合理的配慮を提供するということになると考えます。
 裏を返せば、仮に何らかの措置を取ったとしても、能力発揮の妨げになっている社会的障壁の除去にならず、労務提供義務を果たすことができないのであれば、そもそもそうした措置は合理的配慮の提供とは言えないということでしょう。

そして対応の中で最も重要な点は、会社も労働者もそうした前提に立ったうえで、どのような合理的配慮の提供が考えられるか、丁寧な話し合いを通して検討することです(それが「合理的」の本来の意味なのですから)。
 対話を欠いた一方的な対応は、(会社側からであっても、労働者側からであっても)合理的配慮の提供とは本質的には言えません。

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